
警察官として初めの一歩。
それは警察学校で基礎を学ぶことです。
初任科生と呼ばれ、
刑法や拳銃の扱い方、
柔剣道など様々な訓練を受けます。
学校とは言いますが、すでに警察官。
もちろん給料も発生します。
なので警察官としての自覚、
そして責任を背負うことになります。
同期は約100名。
高校、大学卒業直後の者。
社会人、就職浪人、フリーターだった者。
年齢は18歳から30歳くらいまで。
(年齢上限は都道府県によって変わります。沖縄県は29歳。富山県警などは35歳まで。※2019年4月時点)
高校、短大卒は10ヶ月間。
大卒の場合は6ヶ月間。
そこで集団生活および訓練を共にします。
勉強、運動、食事、風呂、周りには常に誰かがいます。
そんな中での生活は僕にとって、
まさに・・・
『地獄の日々』でした。
「げっほげほ!」
「ここ来てから急に体調悪くなったんだよな」
「ああ、わかるかも」
「俺、鼻水とまらん」
班の仲間が口々にそう言ってるのを、
幾度となく聞きました。
PATMの状態は相変わらずでした。
むしろ、馴れない共同生活や訓練のせいで、
心の中は緊張や不安でいっぱい。
PATMに対する反応は酷いことになっていました。
入校直後は覚えることもたくさんありました。
ただ周囲のPATMの反応が気になり覚えられない。
そして、
“ミス”
を何度も繰り返す。
「連帯責任!!腕立て50回!」
教官の容赦ない命令。
個人のミスはすべて班の責任。
「みんなに迷惑をかけられない」
ミスを減らそうと考えれば考えるほど
緊張して慌ててしまう。
確実に、
“負”
のスパイラルにハマっていました。
そのうち
「ちっ」
「また、たくよ〜かよ」
そういった声が僕の耳にも聞こえてくるようになり・・・
・
・
・
最初のうちはみんな優しかった。
「ドンマイ」
「次、頑張ろうぜ」
そんな声もかけてくれていた。
部屋に帰ってからも、
「彼女いるの?」
「ギャンブルすんの?」
そんなたわいもない話をしに来てくれていた。
ただ、ミスを繰り返す僕に声をかけてくることも部屋に来てくれることも徐々になくなっていった。
そんな状況になっても、
「歩みよりたい」
そう思い、勇気を出して輪の中へ入っていこうとすると・・・
まるで、
『蜘蛛の子を散らすように』
みんないなくなっていった。
いつのまにか僕は空気のような存在になっていました・・・。
つづく

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